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其の二十五


相撲用語が実は仏教語

日本の国技であるすもうを漢字で書くと「相撲」で、これは相撲(あいう)つことであり、もともとなぐりあうという意昧なのです。
 現代国語では「相撲」ですが、もとは「角力」と書くこともありました。こちらは、角をつかんで野獣をおさえこむことだったのです。どちらも荒々しい言葉ですが、実は「仏本行集経(ぶつほんぎょうじっきょう)」というお経本にあるのですから、意外でしょう。
 お経の多くは、サンスクリットとか梵語(ぼんご)とかいわれるインドの古代語で書かれていて、それが中国に伝えられると、漢文に翻訳され、さらに日本まで伝えられたわけです。
 「仏本行集経」の場合も、漢訳されたお教本のなかに「相撲(そうぼく)」「角力(かくりき)」の二つの言葉がでてまいります。
 つまり「相撲」や「角力」は日本で作られた言葉ではなく、お経の漢訳から生まれたものであって「すもう」という発音だけが日本製なのです。
 「仏本行集経」には、お釈迦さまがまだ世継ぎの王子、すなわち太子として、父王の命令によってすべての武芸を学んでおられたことが記されており、いろいろな種類の獣たちがみな、お釈迦さまとの試合に敗れた、という話があります。「相撲」「角力」の文字は、
ここに使われているのです。
 相撲の最終日を「千秋楽(せんしゅうらく)」と申しますが、これもまた、仏教とかかわりのある言葉で、古来演奏されてきた雅楽(がらく)の曲名なのです。
 奈良時代の仏教が盛んだったころ、貴人の社会では、法要を催した場合には、一日の終わりに「千秋楽」を演奏するしきたりになっていました。それがのちに、相撲や芝居の最終日の意味に用いられるようになったということです。

【龍昌 平成4年 春のお彼岸号】より抜粋

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