12月の法話集 ~木守り柿に教えられる~


木枯らしの吹く山里で柿をもいでいるご老人を見かけ、とてもおいしそうな柿なので、一個いただきたいと申し出ました。ご老人はもうほとんどもいでしまった柿の木から、とりわけおいしそうな一個をくださったのでした。柿もぎを終えたご老人と世間話をしていたのですが、柿の木の頂上に真っ赤な実が一つ残っているのに気がついたのです。
ご老人が申されました。
「あれは、木守り(きもり)とか木守り(きまもり)といいましてね、来年もよく実りますようにとお願いをするおまじないで、木のてっぺんに残しておくのです。」
なるほど、何てゆかしい習慣であろうと感心していると、つづいて言葉がありました。
「それとですね、何もかも私たち人間が奪い取って食べてしまうのではなくて、これから食べ物の少なくなる冬に、きっと苦労するに違いない野山の鳥たちに残しておいてやろうという心づかいでもあるのですね。」
再び感動せずにはおられません。小さな小鳥たちのことまで気づかう心、まさに慈悲の心です。人と自然の共存共栄を守り続けようとする昔からの習慣に、私たち現代人はもっともっと学ぶべきではないでしょうか。
いま私たちは、自然を痛めつけるだけ痛めて生きているのが現実です。食物となる自然は取れるだけ取ってしまおうとしています。この地球上に生きる人間以外の動植物へ、どれほどの思いやりを私たち人間は持っているのでしょうか。
私たちのまわりには自然を破壊する人々がいます。そして、このご老人のように自然の恵みに感謝し、小さな小鳥の命を心配する人もいます。
どちらが人間らしい生き方なのでしょう。木守り柿に教えられた一日でした。



12月の法話集一覧表へ戻る